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第15回国際ヒマラヤ舞踏祭 2017

 
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 けむり虫の態変 リゾーム・リー
からだの闇を掘る
 2018年1月14日

長い囚われからの寛解

長年囚われていた母への愛憎から解き放たれて、これまで見えなかったことが少しずつ透明に見透かせるようになってきた。
わたしが今のわたしになることができたのは、災難や苦境を含むあらゆる出来事を体験したからだ。とりわけ、幼少時に母から離れて、土地のシャーマンだった祖母と過ごすことができたことは、いまのわたしの根幹をなしている。アニミズム的な世界の見方もすべて祖母から学んだ。土方の幼少時のアニミズム体験に深く共感できるのもその御蔭だ。両親がわたしを手放してくれた体験がなければサブブディ技法も生まれることはなかったし、もともと舞踏家などになろうとはしなかったに違いない。いまはなき両親祖父母に尽きせぬ感謝が湧いてくる。
囚われから脱け出すのに60年以上もかかったことになるが、どんなに遅れても遅くてもここにたどり着くことができただけ、幸いとしなければならないだろう。
次の課題はいまだつきまとっているアニマと性愛の幼児的退行の謎だ。これも何年かかるかわからないが、謎が深ければ深いだけ、解きがいもある。解けたとき何が起こるか、見当もつかないが楽しみが増えた。


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 赤兒のけむり虫 リゾーム・リー
 2018年1月7日

突然の変化

わたしは、3歳のとき突然両親がわたしの前から消えた傷に長い間囚われていた。老年に達した今に至るまで、消えた母に対する怒り、悲しみ、寂しさ、憎しみ、そしてどこへも行き場のない愛着などが縺れ絡んだくぐもりに取り憑かれていた。頭ではかれらにのっぴきならない事情があったことを理解しても、不意に吹き上げる情動の噴出をどうすることもできないでいた。
しかし、先週の金曜日、突然の変化が起こった。
いつもの産婆役を離れ気楽に参加している冬期コースで、産婆のパメラは40分間の目隠し歩行をガイドした。実に豊かな40分間となった。
暗闇の中を歩いているうち、突然垂直に切り立つ岩の壁に触れた。校舎の石壁だと気づいたがその瞬間、小さい頃母あるいは父が私に語った話が蘇ってきた。ライオンは赤兒を鍛えるためにわざと崖の下に突き落として育てるという話だった。
その次に庭に放置されている自転車と出遇った。
はじめて自転車に乗れるようになった9歳の頃の寺の境内、隣町に母のミシン内職で造った衣服を届ける中で、悪ガキ共に囲まれて乱闘になった記憶、市電のレールにタイヤが挟まってあやうく轢かれそうになった記憶などなどが蘇ってきた。
不思議なことに、暗闇の中の旅でわたしはそのライオンの物語通り、わたしの幼児時代のすべての経験を受け入れることができた。わたしに厳しい環境を与えることでわたしを鍛えようとしてくれたのだと、両親に対する感謝の気持ちが湧いてきた。
先週の金曜日、私は庭でそれを踊った。階段を転がり落ちて、そこからまたよじ登った。子供時代のわたしが出遇った様々な試練を踊った。小さな自転車と踊っていると見知らぬアニマとのデュエットになった。母ばかりでなく女性とうまく付き合えない関係の絡みもまたわたしにとって試練の場だったのだ。

こうしてゆっくりと、わたし幼児期のトラウマから解き放たれていっているようだ。わたしはいま68歳、なんという長い年月がかかったものだが。からだの闇のなかではなにかが少しずつ動いている。


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舞踏論   土方巽に捧げる
第2部 「静かな家」の深淵へ
 

 この冬、舞踏論の増補・再編に取り掛かっています。
今日たまたますっかり忘れていたこの章に出会いました。
十年近く前の原稿ですが、この時の胸の震えが蘇ってきました。
読者の皆様と共有したいと思います。

 
第6章 精神のかげり



5 精神のかげりとして捉えられたもの

  

   きわめて緩慢な少女

   のびきったキリスト

   のびきったままおろされたキリスト

カンチュイン

狂王の手―虫、鳥、棒

坐せるカトンボ

これらはワルツによってほとんど踊られる

そうして、Xによる還元と再生はあの遠い森や、
目の巣から飛び立っている、

尚、死者は、これらのものにことごとく関与している

これらを舞踏するために、登場する何者かは、鳥のおびえ、
虫のおびえに、通じていなければならない。



精神のかげりとして捉えられたものとは何なのか。
去年までどうもしっくりつかめていなかった。
だが、なんだか奇妙なもやもやしたものが感じられる。
それが何か、これまでよくわかっていなかった。
ある日、小見出しをうつらうつら眺めていると、
あぶり出しのように全体像が浮かび上がってきた。


赤い神様
死者
魂と精霊
気化
精神のかげり
馬肉の夢
鏡の裏
ふるえ
メスカリン手


「静かな家」の各節の小見出しあるいはキーワードを
羅列してみると、一つのことが見えてくる。
土方はこれらの総合によって心身のある状態を
醸成しようとしていたことが。


「恣意的な破壊よりは、眠りだけでよい、
しどろもどろでよい、もうろうとした状態でよい。
つまり、曖昧な意識のさまよいが重要だ。

(未発表草稿)

そうなのだ。
これは下意識のからだ、サブボディそのものである。
その状態に、手を変え品を変え角度を少しずつ変えてアプローチしている。
わたしは、そうと知らずに土方とは別にサブボディメソッドを
掘り進めてきた。
そしてここへきて、やっと分かった。
土方もまた、まったく同じ坑道を掘り進んでいたことに。

「精神のかげりとして捉えられるもの」とはサブボディのことだ。
精神が明晰な昼間の意識を表すとしたら、
精神のかげりとは、もうろうとした影の意識、
変性意識状態、サブコンシャスそのものだ。
そこでは独特のサブボディ速度で時間が流れ、
無限の変容が起こっている。
からだの闇でもっとも見慣れた光景だ。

微速動から、虫のワルツへ、
きわめて緩慢な動きは下意識のからだのもつ基本的な速度である。
それがときにさまざまに変奏される。
虫や鳥や棒のリズムによって。
遠い森や目の巣から飛び立っているXによる還元と再生によって、
絶え間ない変容流動が続いている。
鳥のおびえ、虫のおびえという祖型的な情動や体動は、
ユングが発見した集合的無意識の内容である元型的なイメージの
さらに深層にたゆたうクオリア流である。
わたしはからだの闇の旅で、
前人未踏の坑道を掘り進んでいるのだとばかり思っていた。
ユングの「無意識との対決」をめぐる瀕死の体験記や、
ミンデルの「シャーマンズ・ボディ」だけが闇の旅の頼りだった。
だが、なにからなにまで、土方が私たちより先に旅し、足跡を残している。

なぜ、「静かな家」が気になって仕方がなかったのか。
なぜ、こんなに執着して取り組んできたのか、その謎がやっと解けた。
「静かな家」はサブボディメソッドのふるさとだったのだ。
同郷の友と時空を隔てて邂逅していたのだ。
これまで、土方独特のレトリックに気を取られて、
静かな家でであうものがみなこれまでのからだの闇の旅で
見慣れた風景であることに気づかなかった。
なんだ、なんだ、そうだったのか。
土方はサブボディメソッドの先駆者だったのだ。

ただ、おおきな違いがひとつある。
土方の時代は、土方一人がこの秘密の坑道を降り、
生命の創造性に触れてさまざまな舞踏を創造した。
そして土方はそれを芦川羊子をはじめとする弟子に振りつけた。
弟子にはこの生命の創造性に触れさせようとはしなかった。
振付家と踊り手という区分が画然と存在していた時代だった。
おそらく土方には自分がもうろうとした変性意識状態になって
生命の創造性に触れ、無数に湧き上がってくる創造をこなすだけで
精一杯で、他の人をその変性意識状態に導く「調体技法」を
確立する発想も余裕もまったくなかったのだ。

サブボディメソッドは、万人に開かれている。
誰もが土方が通ったからだの闇の坑道を掘り進んで
生命の無限の創造性に触れることができる。




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語られることのない話 マルガリータとナレッシュ
舞踏論 第一部 ――土方巽に捧げる
 
 「静かな家」 土方巽の最後のソロ舞踏 1974


第1章 補遺 いのちの震えが刻み込まれた
 
 

●その時いったい何が起こったのか? 

前章よりつづく。
前章・第一章は2006年ごろに書いた。それへの十年後の2017年の追記)
 

なぜ、学生時代に一度限り見た土方舞踏への驚きが25年間も持続して、わたしの40代の生き方の転機になったのか?

おそらく、公演の最後の瞬間の醜く歪んだ舞踏手の肢体の印象が、深い生命共振の感動となって、わたしのからだの闇深くに刻印されたからだろう。

それには少し当時の時代背景の解説が要るだろう。

土方巽が舞踏を踊っていた1960-70年代の日本は、第二次世界大戦の戦後復興を終えて、経済の高度成長期を迎えていた。

その間日本の製造業は廃棄物をすべて河川に投棄し、日本沿岸の海はゴミや、水銀やカドミウムなど人体の細胞に突然変異をもたらす重金属に汚染され、数々の公害病を引き起こした。

なかでも、熊本県水俣の海は、肥料会社日本窒素が垂れ流した硫化水銀に冒され、魚の背骨が湾曲収縮し、市場で販売できないために、地元漁民が水銀に汚染されていると知らずに食べた。そして、多くに人々が深刻な水俣病の犠牲となった。(図1)


図1 水俣病

地元住民をはじめ、水俣病患者は、訴訟を起こし、それを支援する全国的な公害反対運動が盛り上がった。だが、日本窒素や熊本県は長期に渡って己れの非を認めず、多くの患者たちが苦しみの中で死んでいった。

当時、学生だったわたしは、公害反対運動に共感しつつ、その当時激化していたベトナム戦争を阻止する反戦運動に従事していたため、十分にかれらと共闘することができなかった。こころの中で、(ごめん!この政治闘争が片付いたら、すぐに駆けつけるから!)とかれらにお詫びの手を合わせるような罪悪感に苛まれながら、反戦から革命運動に深化していった政治の渦に巻き込まれていった。

1960年代の末から、衰弱体の収集を続けていた土方巽は 、水俣病患者の歪んだ肢体に最大の共振をもってそれを自分の踊りに取り入れた。
かたやモダンダンスの人々が小奇麗な踊りの創造を楽しんでいる中で、土方巽ただ一人が、その奇形化し、不具化したいのちのかたちに深く共振し、それを人類史上いまだかつてなかった<美>に昇華したのだ。

革命運動が敗退し、大学を中退したわたしが母校のキャンパスに土方の舞踏公演を見に行って彼の衰弱体の舞踏に出会ったわたしは息を呑んだ。

(そうか! こういうかたちで水俣病で死んでいった死者たちと共振する方法もあるのか!)と腰を抜かすほど驚いた。

すぐにもわたしは土方の元に駆けつけたい衝動に駆られたが、あいにくそのとき、結婚していたわたしの妻のからだの中にはすでに胎児が息づいており、その子が成人するまでは餌を運ぶために働かざるを得なかった。

だが、その生命共振の感動はわたしの深部に刻印され、それから25年たった40代のわたしに舞踏家になることを決意させた。

これはいったいどういうことだろう?

自問を続けていたわたしに、十年以上経ってからひとつの回答が訪れた。

美は生命共振にあり

踊りにとって美とは何か?
いや、あらゆる芸術にとって美とは何かを問い続ける間に、長い人類史のなかで、人のいのちが深い生命共振の感動に打ち震えたクオリアがあらゆる分野の芸術の<美>に結晶したことが透けて見えてきた。

人類最古の彫刻であるグレートマザー(大母)像は、先史時代の人々がいのちのもつ不思議な創造力に感動し、その不思議を太母像として結晶化したものである(図1)。


図1 人類最古の彫刻 太母像

深い生命共振に打ち震える先史時代の人々のからだの闇のクオリアは、それ自体としては非二元かつ多次元空間で共振する混沌としたクオリアに過ぎないが、やがてひとびとはそのクオリアを、さまざまなチャンネルに対象化し、<美>に結晶しうることを学んでいった。

映像チャンネルに対象化された生命共振クオリアは、太古の洞窟画や岩に刻まれた線刻画に結晶した(図2、3)。


図2 アルタミラ洞窟壁画


図3 アルジェリア タシリ ナジェールの線刻画

音像チャンネルに対象化されたものは、歌や音楽に、言語チャンネルに対象化したものは詩や祝詞や口承神話として共有され、それらすべてがからだの動きとして現れてきたものは踊りに結晶した。

これは現代に至るまで続いている。

あらゆるジャンルの芸術はすべていのちが深く震える生命共振クオリアが結晶化したものである。 

土方巽もまた、太古の人々と同じように、水俣病をはじめとするいのちが何か得体の知れないものによって変形され、もがき苦しむ姿の中に、いのちが深く震える未曾有の<美>を発見したのだ。

土方が障害者の人々と共振し得たのは、彼もまた、彼のからだの闇でもがき苦しむ死んだ姉と共振して踊る道を、命がけで探求していたからに他ならない。そのもがきの中で彼のいのちも多数多様に変形し、歪み縺れ、絡み合って動けなくなることを体験していたのである。

「不具のからだに無限に嫉妬する。」と書いたのは誇張でも比喩でもない。激しい生命共振が起こり、それによってかれは歪んだからだと一つになったのだ。

若い間に習い覚えた数々のダンステクニックを削ぎ落とし、自らもまた、死者に変成することによってのみ、死んだ姉と共振して踊ることが可能になるという発見をもって衰弱体舞踏を創造しようとしていた土方にとって必然の生命共振であった。 

ひとはいつでもいのちがけで己れにとって必然の生を探求するときにのみ、かつてない生命共振の<美>に出会い、何らかの形に結晶化する奇跡が起こる。

もしきみやわたしたちがいまだに衰弱体以外の美を発見し、結晶化することができていたいとすれば、それはまだ、<いのちがけ>の度合いが足りないことに寄るにほかならない。

己れのいのちの必然を辿ってからだの闇をどこまでも掘り進めよ。

これは後何年踊ることができるか分からないわたし自身のいのちへの檄であり、鞭である。

 

『舞踏論』をもっと読む 

舞踏論 第一部 ――土方巽に捧げる

この冬をかけて、十年前に書いた『舞踏論』を増補訂正して、
電子出版しようとしています。
この機会にお読みいただければ幸いです。
 


第1章 舞踏とはなにか 
 

●青白い人間概念が砕け散った

私は1970年、京都大学西部講堂で行われた土方巽の燔犠大踏艦第1回京都公演の現場で青白い魂を断ち割られて立ちすくんでいた。

暗い舞台に敷き詰められた古畳や戸板の陰に長い間潜んでいた舞踏手たちが、最後の最後に水俣病患者さながらのちぢかんだ手足をもそもそと動かして踊りだしたとき、私は追い詰められて泣いた。私の青白い人間理解はそのとき根底から転倒させられたのだ。

それまで私は西洋哲学から学んだありきたりの人間概念、すなわち頭は理性の座、顔は良識の窓、まっすぐ意志的に動く健康なからだ、肉体の下のほうに欲望がうずまいているというようなピラミッド型の人間理解に囚われていた。だが、土方舞踏の舞踏手たちは、顔の真ん中に無意識を噴き出し、ゆがんだからだは何者かに操られ、乗っ取られ、苦悶にゆがみ、良心なんぞは尻の穴に半分突っ込まれてぶらぶら揺れていた。私の青年期の人間概念はひとたまりもなく砕け散った。それがなんとも爽快だったのだ!

帰りの寂しい夜道、私は彼らの踊りをなぞるように踊り狂った。私は22歳だった。舞踏を生きたいと念った。学生結婚していた私の身重の妻が私の狂態を諫めて止めた。

その一夜以来私は25年間踊らなかった。すぐに生まれた子供の子育てと不慣れな身過ぎ世過ぎに追われて長い間生き迷った。子育てをほぼ終えた年、まとっていたつくりかけの家を脱いで私は一人になった。
私が舞踏家として生きる決心をしたのは、はじめて土方の舞台を見てから25年経た1994年だ。

だが、頭の中で25年前に見た土方の舞踏から受けた衝撃が、まるで巨大な釣鐘で頭をゴーンと殴られたように25年間鳴り響いていたのだ。そのような舞踏を踊りたいと思った。だが、そのときすでに土方はこの世にいなかった。

第2世代、第3世代の舞踏家たちがBUTOHと呼び変えて舞踏を名のっていたが、私にはそれは土方舞踏とはまるで別物に見えた。何が違うのか、直観では違いが分るのだが、それをうまく説明できなかった。舞踏とはなにか。わたしはただ、自分のからだの闇に潜り、土方の踊りから受けた衝撃がどこから生まれたのかを探り続けることしかできなかった。

長い間泣いていた。舞踏とはなにかを探して、闇をさまよい続けていた。からだの闇は寒いところだ。誰もいない。物音一つしない。ただ、真っ暗な暗闇に坑道をひとつ、またひとつと掘り続けるしかなかった。

からだの闇を掘って10年があっという間に過ぎた。私は日本を離れ、世界を踊り歩くことも止めて、ヒマラヤ・インドに小さな練習場を開いた。日本や西洋社会にいては情報が多すぎてからだの闇に耳を澄ますことができないと感じたからだ。ヒマラヤにきて5年が過ぎた。意識を消し、からだや下意識と同じくらいにまで鎮めることではじめてからだの中を流れ変容しているクオリア(意識ではなく命が感じているあらゆるものの質感や、体感、実感の総称)がつぶさに感じられるようになる。そして、それをたどることで、ようやく私は、からだの闇から舞踏の巣を見つける鉱脈にたどり着いた。

私は、土方独りが見つけた舞踏を、誰もが自分のからだの闇を掘るなかで見つけ出すことができる坑道を探していたのだ。土方は自分の舞踏をただ踊って見せることと、自らが踊ることを止めた1973年以後は弟子たちに振付けることで伝えようとした。おびただしい独特の舞踏言語が土方全集や生徒たちのノートから伝わってくる。土方の舞踏と舞踏言語が何を伝えようとしているのか、自分のからだのなかでそれと共振するクオリアを見つけ出す以外に私には方法はなかった。それに十年かかった。

●舞踏とはなにか

土方の舞踏を舞踏たらしめているものが三つある。

1.人間の条件を捨て、死者狂者不具者と共振するからだになる

2.人間界以外の異次元を開畳し、転生する

3.異界からこの世を見つめる臨生のまなざし

これらを抜きに土方の舞踏はない。逆にそれ以外の、白塗りとか、がに股とか、たまたま現われた見かけ上の特徴から理解された舞踏理解は、どうでもよい仮象に惑わされた誤解でしかない。

土方にとって舞踏とは、人間概念を拡張する闘いだった。西洋のダンスは、人間のいわゆる美しい姿や健康的な躍動のみを美とすることでその狭い世界を形作っている。そのいわゆる「美しい」ダンスを青年の土方は踊ろうとして踊れなかった。いわゆる日本人のがに股の足で、バレエやモダンダンスを踊ろうとしてもこっけいでしかない。そこに土方は西洋流の人間概念が、すらっとした肢体、よく伸びる手足、ジャンプなど、理想的な形を美の典型として見せ付けることによって、そうできない人間に対する威嚇としたはたらく残虐さを見てとったのだ。それは狭い人間概念に人を閉じ込めようとするものではないのか。

逆に、いわゆる西洋のダンスが美として認めないもののなかに、これまでにない美を発見すること、これが土方舞踏が掘りぬいた最も本質的な、第一の仕事だった。

●人間の条件を捨てる

土方が舞踏の門下生たちに真っ先に伝えたことは、「人間の条件を捨てる。これだけは間違わないでくださいよ」であった。自分が人間だなどと思い上がっている限り、その枠に囚われ舞踏などできない。異界に転生するためのそれは必須の課題なのだ。

土方の後期舞踏を一貫する衰弱体の収集の作業は、水俣病や、らい病、疱瘡病、老婆、愚者など、世界中の死者狂者疾者不具者と共振するクオリアの中に美を発見することだった。ヒューマニスティックな同情などでそうするのではない。己れのからだの闇のなかに棲む死者狂者疾者不具者が彼らと共振してやまないのだ。それによって近代西洋文化が秘め持ついわゆる健常者以外を社会から掃除して締め出す、近代人間概念のもつ残忍な狭さを撃った。

第二は、土方の作る舞台の位相は、ちょうど世阿弥の夢幻能と同じく、この世の生きた人間ではなく、人間の条件をすべて脱いだところに現われる、もうひとつの人間の層に降りて踊ることだった。生者の次元ではなく、他界や前近代の人間が生きる多次元流動的な世界を開き、そこに転生する踊りを追求した。そこは、人間と動物、生者と死者が等価に関わりあう世界である。近代的な人間の心身を脱落させることによってのみその世界に触れることができる。言うまでもなく土方は、この世界とその世界を自由に行き来する力を開くことで、人間概念をはるかに拡張することができることを身をもって示したのだ。

第三の本質的な特徴は、その異次元の世界から、いわば死者の棲まう他界からこの生きた世界を臨生するまなざしだ。ただ、他界に遊ぶのではない。彼の異界からのまなざしはいつも何事かを強烈に問うてゆらいでいる。それが何であるかは土方の舞踏を前に、各自が自分のからだの闇のどんなクオリアが震えるのかを体験することで知るしかない。言葉でなどいえるものではない。

以上が、もっとも本質的な舞踏の欠かせぬ特徴である。それ以外の見掛け上の特性など、じつは、必ずしもそれである必要はないものなのだ。どうでもよいものだけが、世界にはばかることで、舞踏が長い間誤解されてきた。

●多次元をリゾーム的に流動する

死者狂者疾者不具者との共振、異次元転生、異界からの臨生――これらが舞踏を舞踏たらしめているものである。舞踏が人類の世界史の中で何事か大きな革命でありうるのは、これらによっている。白塗りやがに股などの見かけによってでないことは、明らかであろう。

さらに言えば、土方舞踏が開こうとした新しい人間概念の拡張の試みこそ、かつてフーコーが予言した「人間の死」、いうまでもなく、狭い近代的人間概念を脱いで、新しい生存様式と知の様式を発見していく道を開こうとするさきがけであった。それはとてつもないエネルギーと長い射程をもった、このとんでもなく縮こまった人間概念に支配される現代世界に対する転覆の試みなのだ。

フーコーは大著『言葉と物』の最後のページに、希望に満ちて記している。

「人間は16世紀以後のヨーロッパ文化による、最近の発見であるに過ぎない。おそらく、その終焉は間近いのだ。人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう。」(1966)

そうだ。舞踏が切り開いている、多次元をリゾームのように流動する生き方こそ、近代の狭い波打ち際で震えている人間という砂文字を消し、新しい生を開く大洋の波なのだ。



舞踏論をもっと読む


第15回国際ヒマラヤ舞踏祭 2017

 サブボディ共振舞踏
 推薦図書
 
 千のプラトー、右は河出文庫版
 
ジル・ドゥルーズ=フェリックス・ガタリ

千のプラトー

1968年、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズとドイツの精神科医フェリックス・ガタリは、
これまでの近代知を支えていた3次元階層秩序的なツリー状の認識・行動に代わり、
任意に分離、連結し、多次元を変容流動するリゾーム的な知と生存の様式を提示した。
ドゥルーズ = ガタリの 『千のプラトー』は、もっとも重要な舞踏テキストのひとつだ。
その本の完全本は1980年に出版された。
だが、第1章「リゾーム」は1968年頃に書かれ、すぐに日本語にも翻訳された。わたしは1970年代にそれを読んだ。なぜ、日本から遠く離れた彼らが書いた本が舞踏の書になるのか。その秘密をお伝えしたい。

1968年の生命共振

彼らがこの本を書いた年、1968年はフランス、ドイツ、イタリア、スペイン、アメリカ、日本、そして世界中のスチューデントパワーによる世界革命の年であり、何千万もの若い学生たちが古い階層社会を変えようと立ち上がった。
それは地球上の国境を越えて起こった生命共振の奇跡だった。土方巽とドゥルーズ=ガタリの間で奇跡的な共時性が起こったのも、その地球規模の普遍的な生命共振に基づいたものだった。彼らはほぼ同じことを同時に書き、あるいは踊った。
<リゾーム>とは、当時の学生の運動が孕んでいた新旧入り混じった混沌の中から、
ドゥルーズ=ガタリが、根源的に新しいクオリアを取り出し、
未来の人間の萌芽形態として結晶化したものだ。
当時のわずかな数世代だけが、この奇跡的な生命共振を経験した。そして忘れられた。

<なり込み>と<生成変化>

2000年に日本からヒマラヤに移住したとき、万冊の蔵書を処分し、たった五冊だけをヒマラヤに帯同した。そのうちの一冊がこの書だった。『千のプラトー』をわたしは20年以上に渡って熟読してきた。
こんにちの若い読者には主に、第1,2,10章を読むことをお勧めする。
ドゥルーズ = ガタリはこの本を一緒に書いたが、上記3章以外の他の章はおそらく、そのうちの1人によって書かれ、もう1人はそれをチェックしたにとどまる。
これらの3つの章だけは、彼らが非常に深いやりとりを通じて一つのいのちになって書かれた。
密度が他の章とくらべて圧倒的に深く、新しい動きを見つけたいのちが、
輝きを放ちながら躍動している。
そのキーワードは、
<生成変化>である。それは舞踏の根本である<なり込み>とまったく同一である。


リゾームになれ!
たったひとつの秘密になれ!


第1章 
<リゾーム>は、近未来の人間の変容を予言した本書の精髄だ。
第2章 
<狼になる>はそれを具体的に深化させた。
第10章 
<強度になる。動物になる。知覚できないものになる>は、それをさらに全面展開している。

そこにはリゾームになる多様な道筋、多様体になること、女性になること、子供になること、動物になること、分子状のものになること、知覚できないものになることなどが書かれている。
知覚できないものとは,ギリシャ語で<キメラ>という。
土方のいう、無限に変容する死者に生成変化することだ。
これらの章における<生成変化=Becoming>は、土方が同時期に実践していた舞踏における<成込み>と軌を一にしている。
土方巽の「静かな家」とドルーズ=ガタリの「千のプラトー」を読み比べればそこに起こっている境界を超えた奇跡的な世界同時生命共振のさまが目の当たりによみがえるだろう。


わたしはヒマラヤで、サブボディ共振舞踏とその実践的な展開である<共振リゾーム>を探求してきた。
そうだ。<共振リゾーム>という根源的に自由な共創体験をつうじていつか近い将来、地球的な規模で世界同時に生命共振が起こる奇跡の瞬間を待ち受けている。



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 生命共振としてのクオリア


リゾーム・リー

590円




『生命共振としてのクオリア』をアマゾンから電子出版いたしました。

 なぜわたしたちは、あたたかいとか、うれしいとか、
こわいという感覚を共有しているのだろうか。

この、あたたかさ、うれしさ、こわさなどの感じをクオリアという。

クオリアは人間だけではなく、動物も植物も、単細胞生物もふくめ、
あらゆる生命が外界や細胞記憶と共振することによって生みだされます。

クオリアは細胞生命が何ものかと関わるときに
細胞の変化とともに共振的に生成する。

それが『生命共振としてのクオリア』という
この書が提出する世界でも独自な視点だ。

この独自な視点は、著者リゾーム・リーが、
この20年間北インドのヒマラヤ・ダラムサラにこもり、日常的な意識を止め、
からだの闇(下意識や集団的無意識領域を指す)に耳を澄まし、
感じられるかすかなクオリアをからだの動きとして増幅する、
独自のサブボディ共振舞踏技法を見つけ、深める中で掴み取られたものだ。

クオリアは、生命が40億年間の生命史を通じて
細胞内に蓄積してきた生命の遺産である。

この生命遺産としてのクオリアにアクセスし、自由なクオリア共振を解放することで、
生命が持つ無限の創造力を解放することができる。

著者がヒマラヤに設立した共振塾という国際的な舞踏学校で、
この12年間に千人以上の生徒がサブボディ技法を学び、
世界でただ一人のユニークな舞踏者として活動を繰り広げている。

あなたもサブボディ技法を学び、
からだの奥に眠る隠された創造性を全開してみませんか。

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